地獄への道は善意で敷き詰められている

  1. 人の優しさにありがたいと思いつつも、違和感の足音
  2. 脳内に降臨した諺
  3. 善意に従うのは素直なようで、他人軸に生きている
  4. アドバイスは消化して、自身の意思決定に落とし込む
  1. 人の優しさにありがたいと思いつつも、違和感の足音
    タナオさんの日中の仕事は、建設系の資材販売という営業職です。この業界に入って3年目、いろいろと経験を積ませてもらってますが、一重に建設といっても土木や建築なんかはまったく分野が違うので、まだまだ未知のことばかりです。人に恵まれているおかげもあって、会社の既存客だけでなく友人知人が「こういうの扱える?」と声をかけてくれます。ありがたい。
    元来器用貧乏の気質があるタナオさんですので、聞かれれば自分が分からないことなら調べてでも必ず何かしらの回答をするように心がけています。でも、例えば千円ぐらいの商品を流通元から調べて、その特徴を掴み、お客様に見積作成して説明をさせていただく事も多いのですが、「んー、頑張っているけどこれは割に合わない...」という事もしばしば。皆さんの優しさで声をかけてもらってるはずなのに、なんだか手元の処理タスクばかり増えて、売り上げが伸びないことに違和感を感じ始めます。
    決め手は、お前のところから取ってやりたいから「値段をもっともっと下げて」というお言葉。指名してもらえるのはありがたい。ありがたい、けど、利益が出ずに苦しい一面も。

  2. 脳内に降臨した諺
    そんな時にふと脳内へ昔見聞きした諺が降ってきました。それがタイトルにもある「地獄への道は善意で敷き詰められている」という言葉。ヨーロッパの諺だそうです。良かれと思った周囲の言葉やアドバイスが、当人の向かう先を必ずしも良くしない、むしろ地獄へと向かわせている。という意味合いです。そう、皆さんが良かれと思ってやってくれている善意。にも関わらず、そこに甘んじて全てを受け入れていては、自ずとその足の進行は良くない方向へ向かってしまう。まさに今の現状を表現しているようでした。

  3. 善意に従うのは素直なようで、他人軸に生きている
    こうした善意に対して、素直な方が損をするのかというと、必ずしもそうではないと思います。しかし、肝心かなめは、周囲の意見をきちんと自分ごとに置き換え、意思決定ができているかということ。そこの納得感は、自分軸で判断しているかとうことです。
    通常、周囲のアドバイスや助言は従ったほうが良いと思われがちです。実際人生の先輩なんかの助言は、経験に基づいているので正しい場合も多いでしょう。ただ、アドバイスを基にいざ行動に移してみるとどっかしらで躓くことばかりで、その時のネガティブな感情を持った時に「あの人がああ言ったのに!」と、恨めしく思うか、「あの助言を自分で決めて取り入れてみたけど、だめだったか」と思うかで意味合いが全く異なります。闇雲に周囲の善意を信頼してしまう事は、自分軸からかけ離れた行動だと思うのです。

  4. アドバイスは消化して、自身の意思決定に落とし込む
    営業職に関して言えば、売り上げがたつかそうでないかが成功の指標なのですが、こと自分の人生というものにおいては、成功の定義は人それぞれですね。なので、周囲の善意というものが自分自身の成功に対して前に進めてくれそうかを吟味して、意思決定に落しこむことが肝要だと思うのです。
    まわりの善意には心から感謝して、ただ行動指標への還元は自分で決める。

    よし、明日からこれやろう!